感情的ドリル

Ruby県から飛び出して関東にきたオタク

10歳の少年が、ずぅっと俺の中に住んでるんだよ

この記事はSHIROBAKO Advent Calendar2019の11日目の記事です。なんとなく選んだら去年と同じ日付になりました。
なんだかんだ参加は三回目です。一昨年は「個人的なことですが転職を考えていて」としれっと書いていたのですが、ようやく転職しました。
立場的には平岡くんです。

全体 adventar.org

始めに

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先輩を頼る後輩に見えるただのペンギン

なんかペンギンさんみたいについてくる後輩たちに、先輩だって悩んでるんだぞ〜〜!!!って話とか「左利きのエレン」と絡めた話とか書こうと思ってたんですけど、どうしてもだめだった。まあ私にしかかけない事だから良しとしてほしい。

どうしてアニメを作るんですか?

SHIROBAKOには、主要キャラクターのアニメを作る理由を、それぞれに語るシーンがある。
毎度「あ〜それ(キャラ)っぽいなあ」みたいな気持ちで見てたけど、大倉工房の絶対アナログ主義没落絵描きこと大倉さんが「10歳の少年がずぅっと俺の中に住んでるんだよ」と酒を飲みながら言うのを見て、突然ぐっさりと刺さってしまった。

5歳の野球少年

2018年の春に見た「Take me out 2018」という舞台には、自らを取り巻く環境に苦しみながら、それでも「5歳の頃、父親とキャッチボールをした思い出」にすがって野球を続けるプロリーガーたちがいた。
泣きながら見た日もあったし、呆然として何も考えられない日もあった。私にも、縋っている「10歳の私」がいるからだ。
チームメンバーの不仲、言語の違い、成績低迷による暗い雰囲気、エースプレイヤーの性的嗜好の告白とピッチャーの爆弾発言、それから、デッドボールが招いた相手チームのエースの死。
様々な悲劇に見舞われながらも、彼らは野球を辞めない。絶対に辞めない。
私はスローモーションで切ない音楽がかかる中、ただキャッチボールをする人々を見ていた。 果たして「5歳の頃、父親とキャッチボールをした思い出」に縋り続けてプロリーガーになったのは正解だったのだろうか。きっと彼らは正解だったと言い張るに違いない。

10歳の私

私は、とあるスポーツを10歳から始めた。16くらいにだめになって、18の春に選手を引退した。
それからずるずる、大会役員だとかお手伝いとかをしている。正確には過去形になりつつある。引っ越してしまったので、元の環境で同じことができなくなって、大会役員もなにもやっていない。大きな大会の時は手伝いに戻るけれど、それくらいだ。
今年で24なので、選手生活8年、裏方生活6年ということになる。

選手の頃は楽しかった。出来ることが増える度にやる気が出たし、派手な技の練習も楽しかった。地道に土台を固める必要があることに気づいて、じっくり土台を作っていくうちに練習する姿勢を認められるようになって、一回だけ地方大会で優勝して、もうほんっとうに楽しかった。
怪我が増えて、怪我を理由にやる気がなくなって、あとから入ってきた選手達にどんどん追い抜かされているのにも嫌気が差して、目標としていた資格の一つ手前で挫折して選手をやめた。すっぱりやめられなくて意地汚く裏方に入り込んで、経験者だからわかることとか、2年ごとに入れ替わる保護者に大会運営のいろはを伝えて手伝ってもらったりと、それなりに役に立ってはいたと思う。

裏方に入り込むと同時に、選手の指導に入ることが増えた。
たかが二十歳やそこらの、ろくに全国大会に出たこともないしまともな成績一つ残せていない人間に「先生!」と駆け寄ってくる選手もいれば、取り入ってこようとする保護者もいて、いや小娘取り入ってどうすんのとか思いながらものすっごくしんどくなって、教えているけれど、ずっと「これでいいのかな」とばかり思っていた。
テレビの中継も録画しなくなったし、ちゃんと勉強することもなくなった。
それなのに人に教えたり、人を判定したりする資格なんてあるんだろうか。

何もわからないなあ、と思うたびに、ふと10歳の頃やのびのびと怪我しようとも楽しくやっていたころを思い出しては泣きたくなる。 あの頃の私は楽しそうで、「できないと思ったらできなくなるし、そう言っちゃったら本当にできなくなるよ」*1なんて後輩に偉そうに説教していて、本当に羨ましい。

大好きだったはずのスポーツに呪われていて離れられない、なんてことを考える日もあった。引っ越して離れたけど、それまではずるずる離れられなくて、呪われているんだと思っていないとやっていられなかった。
結局のところ呪っていたのは自分自身で、自分でダメになったくせに縋り続けている、無様な格好だったと思う。
今でも酒を飲めば管を巻く。

今も正直、惰性で関わり続けている。*2
もちろん裏方には裏方の楽しさがあって、煩わしいことだって人間相手なのでたくさんあるのだけど、周囲の大人たちが「どうしてこちら側に来たの?」「すっぱり辞めてよかったんだよ」「でも若い子が入ってきてくれて嬉しい、ぜひ続けてね」と褒めちぎってくれるしそれで自分は喜んでいるので、まあ、政治の絡むような範囲に行かなければ幸せにやっていけそうな気もする。

小学校の卒業作文で私は「選手を引退したら裏方で頑張りたい」と宣言していたし、当時から先生たちに「いつか私も先生になる」と伝えていたらしい。
私はきっと、10歳の私に負けないでって足首を掴まれていて、12歳の私の夢を叶えてしまったのだと思う。もう記憶はないけれど、楽しかった記憶だけはしっかりある。
誰にでもきっと「10歳の自分」がいて、あの頃の嬉しかったことや楽しかったことが胸に残っていて、知らないうちに足を取られている。 せめてあの頃の自分に恥じないくらいにはちゃんとした裏方さんになって報いたい。
やるからには最後までがんばりマスタング! よし! 以上です! 

ちなみに、落合さんの好きなところはどこでも淡々と自分のやることと周囲のフォローができるところです。クソ忙しいのに電話出てくれるところ好き。

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旅先で見つけた落合達也さん

旅先で見つけた落合達也さん(トラックドライバー)置いておきますね。

*1:これは何かの台詞だった気がするけど思い出せない、BLEACHD.Gray-manだと思う

*2:呪いという言葉に甘えるのはやめた